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【東近江市長の警告】義務教育と多様性 フリースクール問題を考える

学校の机と椅子が1セット暗い雰囲気の中に佇む。不登校、義務教育、多様性がテーマ 時事ハイライト
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滋賀県東近江市の小椋正清市長(72歳)の「フリースクール」を巡る発言が波紋を広げ、しばらくの時が経っているが、関心や議論の焦点はどの方向に向かうのか、今後の展開が待たれる状況となっている。

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焦点は制度や仕組み

「文科省がフリースクールを認めてしまったことに、がく然としているんですよ。」

「フリースクール、フリースクールつってね、良かれと思ってやることが、国家のね、根幹をね、崩してしまうことになりかねないぐらいの、わたし、危機感を持ってるんです。」

「不登校になる大半の責任は親にある。」

MBS動画より文字起こし

市長の発言によって一部の人々が傷ついたことは確かだが、この問題はそれだけに留まらない。

メディアやSNSなどからは「アナクロな考え」と両断される中でも同調する首長がいる理由は、国のフリースクールに対する方針が教育制度において不確実性を招く可能性があるという懸念によるもの。

主な焦点は「制度や仕組み」に関する言及であることは理解できるはず。

フリースクール運営者や保護者側においても、経済的支援の広がりが不足している中、こうした問題に対する注目が高まることは嬉しい変化と言え、結果的にフリースクールの課題に対処し、進展させるきっかけになっている。

今は感情的な側面よりも、客観的に課題を検討することが重要である。

文部科学省の方針の経緯

「フリースクールを認めれば、国家の根幹を崩してしまう」

この市長の発言は、どのような影響や懸念を示しているのか。

不安の焦点は、従来の教育制度への影響や、社会統合に与える影響に向けられている。

10月25日、定例記者会見での市長の発言

「国がいい加減な気持ちで制度とか形を十分に作りもしないで、いきなり自治体に支援してくれと、そのことに批判したいわけ。」

MBS動画より文字起こし

国のフリースクールへの方針に疑問を呈した発言になるが、文科省の方針形成の経緯に焦点を当てて見てみると、

文科省のフリースクールに対する位置づけは、昨今の不登校児童の増加に伴って、重要性を認めている。

2017年に「教育機会確保法」が施行され、「不登校はどの児童生徒にも起こりうること」として、小中学校との連携を強化し児童たちへのサポートを本格的に展開。

2019年10月には、文部科学省からの通達により、不登校児童へのサポートの基本アプローチが変化し、以前の「学校への復帰」に焦点を置くアプローチから、「社会的な自立を目指すこと」に転換した。

今、学校復帰が必ずしも前提ではなく、子供たちが自信を持って成長できる独自の場所を見つけることが重視されている。

そして今年の3月、「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)」を策定。

「校内教育支援センター」などの設置促進、多様な学びを支援するためのフリースクールなどとの連携強化に取り組んでいる。

国は、各地方自治体や教育委員会、学校やフリースクールの連携を勧めており、その支援を各地方自治体に委ねた形だ。

このような形をとる理由は、各地域の教育ニーズや文化、価値観がそれぞれ異なるため、地方自治体がそれに合った教育プログラムを提供できると考えられているため。

当然、国のスタンスとしては、国内の教育制度に関して基本的な枠組みを提供し、教育の質や内容を管理する役割を果たすことになる。

フリースクールのような教育形態が出現した場合、国はそれらのアイデアをサポートし、適切な規制やガイドラインを整備することが求められる。

しかし、過度に制約的な姿勢を取り、柔軟性を欠いた規制を導入すると、新しい教育形態の発展が妨げられる可能性が出てくる。

そのため、国は教育システム全体の向上に寄与しつつ、バランスを保つスタンスを取っている、というのがひとつの理由として考えられる。

各地方自治体や学校は、具体的な教育政策やプログラムを開発・実施する権限があるので、柔軟に対応させようとしているわけだ。

しかし、このスタンスは一定の課題も抱えている。

それは、地域間の格差や質の違いが生じることがあるため、適切な調整と監督が必要であるということ。

例えば、フリースクールが地域によって異なる教育カリキュラムを導入することで、生徒間で学力や知識の格差が広がる可能性が出るため、これに対処するためには、国の基準に基づく共通の教育ガイドラインを確立し、教育の均衡を図る必要がある。

「それらの基準に基づいたフリースクールに対して、各自治体はその支援策を考えていく」

市長はまず、このような共通する仕組みを構築することが先決であるとの立場なのだ。

フリースクールの定義が曖昧な中、地域ごとに格差が広がる可能性に対して懸念を表明し、一貫性のある基準を策定する必要性を主張している。

この問題は、義務教育の大切さと同時に、児童たちの自由や個性を尊重するという、バランスが求められるテーマでもある。

フリースクールとは?

まずはフリースクール(民間フリースクール)の本質について紐解いていくと、

フリースクールとは、学校に行きづらい子供たちの学ぶ権利を保障する重要な教育機関とされている。

そして、開業・設立に関して必要な資格は特にない。

また、通るべき審査や受ける試験なども存在しないため、誰でも開業・設立することが可能なのである。

文部科学省の定義では、

「一般に、不登校の子供に対し、学習活動、教育相談、体験活動などの活動をおこなっている民間の施設。規模や活動内容は多種多様であり、民間の自主性・主体性の下に設置・運営されている」

引用:文部科学省「フリースクール・不登校に対する取組」

とされ、おもな特徴として、入学資格がなく、様々な年齢の児童が集まり、学校のような決まったカリキュラムがないことなどが挙げられる。

自主的な学び、自由な学習環境、個別化された教育を提供し、社会的スキルやコミュニケーション能力の発展も重視する教育の多様性を尊重した学習施設で、

一部は復学を目指すスクールもあれば、そのような目標を持たない「自信と意欲」を取り戻す施設も存在している。

小中学生の場合、義務教育期間中であるため、学校に籍を置いたままフリースクールを利用することになり、在籍校の校長が認めた場合に限り、フリースクールへの登校が在籍する学校の「出席扱い」になるという。

フリースクールは学校教育法が定める「学校」ではないが、文部科学省はこうした施設への通学を校長の判断で出席扱いにできるとしている。

出席扱いとなるかどうかには明確な基準はなく、1人ひとりの実態に合わせて判断されている。

不登校・フリースクールの現状は?

不登校とは、病気や経済的事情などによらず、年間30日以上学校に欠席している児童のことを指している。

文科省の調査による不登校の主な原因は、本人の無気力や不安、親子関係、生活リズムの乱れ、遊びや非行、いじめ以外の友人関係の問題などが挙げられている。(いじめが0.3%だが、別のサンプル調査では約25%なので信憑性はない)

最新の統計によると不登校児童の生徒数は、29万9048人と過去10年間で連続的に増加。ただし、フリースクールを利用する割合は小学校で1.7%(約59人に1人)、中学校で6.0%(約17人に1人)と、一般的ではない。

現在、全国に約500ヶ所のこの種の施設が存在しているが、利用者数は不登校の児童生徒全体のわずか3.7%(前年比3.6%)にとどまり、その利用率は低いと言える。

フリースクールにかかる費用と支援について

フリースクールにかかる費用を見ると、施設によって大きく異なるのが現状で、文部科学省の調査では、月額授業料の全国平均は3万3,000円、入会金の平均は5万3千円、と家計にとってかなりの負担と言える。

このような背景から、保護者はフリースクールを選択肢から外す方が多く、また国からの補助がないフリースクールの運営は非常に困難な状況にあるらしい。

そこで国は、各自治体に保護者向けの補助金制度を導入する努めを課したのだが、実際にその制度を導入した自治体はまだ限られている状況。

フリースクール自体への支援は、憲法89条が関わってくる。

憲法89条

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

昨今、フリースクールに対して補助金等の給付を求める動きがあるが、民間の慈善や教育の活動に対して、行政が介入することを否とし、公金(税金)の支出はされていない。

法律に基づいて設立され、運営についても行政の監督に服しているかが関わってくるため、憲法89条との関連が議論されることになってくる。

今回の根本には、この憲法違反ともとれる支援が果たして正解なのかというのが大前提にあり、議論されていた。

フリースクールに対して直接的な公金支援はしていないが、そこへ通わせる保護者に対しての公金使用が憲法に抵触しないかという点になる。

最終的にこの話し合いは財源論に集約していくのだが、それら課題について投げかけるも県は拾いきれてない状態だった。国には制度設計と財源論について解決してもらわない限り、より良い支援がしづらいという実態があると小椋市長をはじめ、一部首長は問題提起していた。

波紋を広げた後日、小椋市長の発言について県知事と文科相は苦言を呈している。

事情を知るはずであろう双方は、「考え異にしている(知事)」「望ましい発言とは当然考えていない(文科相)」などと核心には触れず、市長を陥れるだけの会見となった。

フリースクールのデメリット

「現時点でのフリースクールが義務教育を補完する役割を持っているのだろうか。」

MBS動画より文字起こし

ここで市長が危惧する「義務教育を補完する役割」を考えると、

果たしてフリースクールは、その役割を持っているのか。

児童の状況によっては義務教育は必要とされないのか。

この部分が非常に曖昧であるため、各首長の思想による違いから支援のバラつきが生まれるひとつの要因になっている。

フリースクールは、NPO法人や個人の運営が多く、経営理念に応じた独自のカリキュラムで学習を進めており、また各地域に必ず設置されているわけでもなく、スクールによっては学習内容も異なるため、教育の平等性に欠ける部分も出てくる。

それを踏まえフリースクールのデメリットを挙げると、

デメリット
  • フリースクールの数が少ない:近くにない場合が多い。
  • 経済的負担がかかる:公立小中学校で必要なかった料金が発生する。
  • 出席扱いになるとは限らない:文科省の認可と校長の判断による。
  • 学習レベルが低いことがある:定められた学習指導要領がない。本来習うはずの内容が取り扱われないことがあり、学習進度に差が生じる。
  • 社会性が伸びない可能性:否定されることがない反面、その考え方のまま社会に出てしまうと、社会性の面で躓いてしまう可能性がある。

もちろん、学習レベルにおいて各スクールに違いがあるため「様々」あるのだが、この「様々」が果たして義務教育の過程において良しとするか否かは、教育制度とその目的に関する根本的な問いかけが生じてくる。

教育の本質的な目的は、公平で質の高い教育を提供し、社会の未来を担う子供たちを備えること。

したがって、「様々」なフリースクールがこれらの目標に貢献できるかどうかが焦点となり、議論の対象となるべきものだ。

また不登校になる事情も「様々」で、それぞれの児童の事情に合うフリースクールがあるかと言えば、その選択肢は少ない。

フリースクールに対してしっかりとした枠組みや規定が欠如している場合、支援の判断が難しくなる。それが各自治体に委ねられていることで、教育政策における複雑な問題となっていることを把握し、統一された基準や枠組みの整備を含めた解決策の検討が求められる。

フリースクールへの雪崩現象

2017年の「教育機会確保法」の施行後、急激に不登校児童が増加した背景には、先述した「不登校は誰にでも起こり得る事象であり、学校復帰が必ずしも前提ではない」という国の認識が浸透したことが挙げられる。

また2020年以降、コロナ禍の影響で様々な環境が変化したことも、不登校児童増加の原因になっており、当時からわずか6年で約3倍にまで膨れ上がっているのが現状。

その中には、「積極的不登校」の児童も含まれており、今後ますます増加の一途をたどると考えられる。

さらに危惧しなければならないのが、不登校児童予備軍の存在。

不登校児童予備軍とは
  • 年間欠席30日以上はないがそれに近い
  • 出席はしているが遅刻や早退が多い
  • 保険室や図書室、校長室への登校

市長が指摘したボーダーラインギリギリにいる児童たちがこれに該当し、彼らがフリースクールへの雪崩現象を引き起こすリスクがあると危惧している。

現在の不登校児童数の3倍以上になると言われ、単純に90万人以上もの児童がその影響を受ける可能性があることも考えられる。

「大半の善良な市民は、嫌がる子どもを無理して無理して学校という枠組みの中に押し込んで、義務教育を受けさそうとしてるんです。」

「無理して無理して学校に行っている子に対してですね、『じゃあフリースクールがあるならそっちの方に僕も行きたい』という雪崩現象が起こるんじゃないか。」

「義務教育がフリースクールに逃げていいのかというのは国家にとって大変な問題。」

MBS動画より文字起こし

市長の発言を読み取ると、頑張って公教育を受けようとさせる・する、保護者や児童に対して、「フリースクールという選択肢もある」、「国は各自治体に支援に努めるよう伝えている」、という国の安易な方針に疑問を投げかけている。

基準や枠組みが不透明にも関わらず、ましてや出席がカウントされず、卒業資格が得られないおそれのあるフリースクールを国として容認することは、保護者や児童に対して無責任であるということ。

であるならば、義務教育を無くし、フリースクールでも卒業資格を得られるようにしなければ、筋は通らない。

そして、全自治体に支援を義務化する形も取らなければならないはずである。

このようにフリースクールが容認され、また注目されたことにより、今後いくつかの懸念が浮かび上がってくる。

懸念材料
  • 大規模な雪崩現象を引き起こす可能性…フリースクールの存在を知り、そちらに流れる可能性があり
  • 国全体での統一的な教育方針が困難…教育の均等性や質に影響を与える可能性があり
  • 異なる教育スタイルを追求するフリースクールが拡大…教育内容や学力基準において一貫性が欠如する可能性があり
  • 国家が教育に対する統制力を失う…社会において地域差別や社会的格差を拡大させる一因となり得る
  • 他の児童への影響…学校全体の安定性に影響を及ぼす可能性があり
  • 児童たちの学習環境に混乱…将来への準備不足や社会適応の難しさを引き起こす可能性があり

今現在、「フリースクールが必要」なのはもちろん理解できるが、この国の方針によって、必要のない児童にまで影響する可能性があるということ。

「どうしても必要」な立場で利用されている方にとれば、今後起こりえる雪崩現象によって、今の生活環境が悪化するおそれさえある。

そうなれば、何のためにフリースクールを容認したのか分からない問題にもなってくる。

この状況を「多様性の時代・選択の自由」として片付けることが、本当に妥当な対応なのか、あるいは本末転倒に陥るというリスクも当然考慮すべきである。

不登校児童にとって、将来の不安が少しでも少なくなるような選択や提案ができる準備をしておくことが必要であり、自己肯定感を向上させるために適切なサポートと教育環境の整備が求められる。

多様性の独り歩き

文科省の調査で示されている、不登校の原因の『いじめ』で、学校からの回答が「0.3%」とあったが、別に調査した前年度不登校だった小学6年生と中学2年生の児童の回答では約25%になっている。

共に信憑性に欠けるところだが、立場の違いで大きなズレが生じていることはわかる。

2013年(平成25年)に、「いじめ防止対策推進法」が施行され今年で10年が経った。

この法律にも言えることは、机上と現場のズレが生じていること。

詳細は省くが、はっきり言って失敗としかいいようがない。

もっともらしい言葉を並べて法律を作るのはいいが、実効性が無いためいつもその先に進展はない。

今回の件にも、同じような匂いがしているのは気のせいかも知れないが、「多様性」という言葉に振り回されていないか、という点が気がかりである。

全分野において、マイノリティへの理解を推進することは理解できるが、社会的な枠組みや伝統を重要視する人々も多く存在していることは理解しなければならない。

多様性とは個々の差異を尊重し、社会や組織が異質な要素を包括的かつ平等に受け入れることを強調されるはずなのだが、その理念とは裏腹に多様性を傘として攻撃してくる人物すら多くいる。

その意識が正しいものとして、また理解しなければいけないものとして世の中が動いている。

それは「アナクロな考え」などの言葉で完結しようとする人物を見て、なおさらそう思える。

「多様性」という言葉が独り歩きし過ぎていないだろうか。

例えば、性の多様性で見ると、LGBT理解邁進の取組みの先には、ジェンダートイレを作ったことで世間から批判された件、また女風呂に男性が入り「心は女性なのになぜ悪い?」と述べるも捕まったという話も出てきている。

方法がおかしいと思わざるを得ない。

教育の多様性という観点から見ると、日本の歴史には「ゆとり教育」という時代がある。

ゆとり教育ができた経緯についても見過ごせないが、目的は、様々な経験を通して、人間性を豊かにする、自分の可能性を広げられる、自由な発想につながり、豊かな人間性を育てることができる、としたものだった。

それまで行われていた「詰め込み教育」に反対していた有識者などから支持されていたが、学力低下が指摘され各方面から批判が起こるやいなや廃止に至っている。

「目的」は何だったのか、学力が低下した途端、目的を見失っている。

学力低下は誰にでも予想できたことで、それを捨ててまで取り組むものだと思っていた。

もちろん国も目的達成のつもりで取り組んでいたであろうが、世論の声にあっさりと負けたのである。

結局、ゆとり世代の人々は、世代間差別を受けるマイノリティ世代となってしまった。(1987年4月2日生まれから2004年4月1日生まれ)

2023年現在で「18歳~35歳」の人々がその世代にあたる。(全期間がゆとり教育でない人を含めた場合)

その子供たちが今、そしてこれから「多様性」の時代を迎えることになる。

信念を持って貫けば、35歳以下の人々は全てゆとり世代となり、「目的」に近づいたにも関わらず。

現在、教育の「多様化」として「学びの多様化学校(旧名:不登校特例校)」の新設など新たな取組みが行われているが、ある特定の世代だけが異質な思考となれば、ゆとり世代以上の二の舞いとなることは必至だろう。

世論の意見や風潮に流され右往左往し、目的達成のために芯を貫く覚悟もない、そんな国の方針を信じる方が難しい。

市長の発言に「良かれと思ってやることが国家の根幹を崩してしまうことになりかねない危機感を持っている」とあるが、

まさにこの「良かれ」こそが、世論の意見や風潮に流されていないかということであり、その根源は「多様性」という言葉だ。

市長は、今回のフリースクールを巡る発言に対し撤回はしていない。

「信念を持って発言している」と頑なに言い切っている。

これを見て、どちらが芯を貫く覚悟があるのかは言うまでもない。

小椋市長の発言に世間の反応

否定派

・義務教育の根幹が揺らいでいるから子どもが学校から離れていってるんだよ。目を向けるべきは学校制度の問題の方だよ。

・春日井敏之立命館大学教授は、「「不登校は親の責任」というのは、保護者や学校、教育行政が連携して取り組んできたこれまでの不登校支援をめぐる到達点を全く踏まえていない。時代錯誤であり、がくぜんとする」と批判。

・末冨芳日本大学教授も、「不登校は親の責任でもありません」「市長としてあるまじき酷い発言です」「このような発言をする人物が市長に相応しいのか、私は疑問です」と批判。

・佐倉統東京大学教授は、「この人の言っている「国家」は、明治時代の国家のイメージなのだろう」「今はそういった「国のための教育という考え」は完全に時代錯誤である」と述べ、小椋の「国家の根幹を崩す」という発言を批判。

・「不登校は保護者の責任だとか、絶対子供はみんな学校に行かないといけないみたいな、根強い偏見が残っている。その偏見こそ不登校の子が一番傷つくこと」といった批判。

同調派

・多様化を認めるなら市長の考えも多様化のひとつ。

・過去不登校当事者、今でも普通に親が悪いって結論ですね。私も含め大半の不登校の家庭は、親が不仲、向き合う時間がない、過干渉、子の気持ちを尊重しないパターンですね。原因の大半は親で、他の要因は諸問題程度の重層的・複合的な問題、というのが今の考え。

・親以上にメディアが害悪だと私はいつも思っています。日本社会が悪いって側面もあるけど、市長の言わんとしてることを分かってる上で無視し、金儲けのためにオモチャにして遊ぶ。彼らに報道倫理なんて無く、スポンサーに怒られそうな事以外は大半営利に利用してますよ。

・至極真っ当な発言で、撤回しないという信念に敬意を称する。不登校にかかわる本を何十冊も読んだが、本に書かれることは成功例だけで、失敗例が書かれていない、実際には失敗している方が数倍あるという。フリースクールは形としては悪くはないと年長も言っている、しかしその中身に問題が大きいと問題視している。

 一般的な世論の傾向として、多くの人が否定的な意見を持っており、特に「大半は親に責任がある」という発言に対してのものがほとんどだった。

「大半」が適当な規模かは不明だが、親の子供に対する接し方は、昔と比べて大きく変化してきているのも事実で、それが1つの要因になっているとの声も挙がっている。

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東近江市・小椋市長とは?

小椋正清市長 東近江市ホームページより
来歴

学歴

  • 彦根東高等学校
  • 同志社大学法学部卒業

略歴

  • 昭和51年 滋賀県警採用
  • 昭和63年 外務省出向
  • 平成 3年 警察庁外事第二課(国際テロ対策:ヨーロッパ・中近東担当)
  • 平成16年 長浜警察署長平成17年 滋賀県警察本部刑事部参事官
  • 平成19年 滋賀県警察本部生活安全部参事官
  • 平成20年 滋賀県防災危機管理局長
  • 平成23年 滋賀県防災危機管理監
  • 平成24年 滋賀県理事員(防災危機管理担当)

以後、平成25年から東近江市長を3期

滋賀県の進学校として知られる県立彦根東高校は、偏差値68で県内トップクラス。東大・京大に毎年10人、早慶に10~20人程度が進学し、国公立大学には年間約200人が合格している。卒業生には田原総一朗や細野豪志、お笑い芸人アキナの山名文和などが含まれ、歴史ある学校として知られている。

同志社大学卒業後は、1976年に滋賀警察に就職。外交省勤務を経て、警察庁外事第二課(国際テロ対策)に所属。2004年には53歳で長浜警察署長に就任し、翌年には滋賀県警察本部刑事部参事官に。素晴らしい経歴を持つ。

さいごに

大人たちは自身の経験を元に子供に価値観を押し付けがちだが、今は通用しない。過去のコミュニティと現在とでは明らかに違うからだ。

隣近所や地域との繋がりの減少、共働き世帯の増加、学校や先生の負担激増、同級生やその保護者たちとの関係性、SNSやネットの普及など、どれをとっても子供たちのコミュニティは急速に変化している。

大人世代のほうが、遥かに過ごしやすかったのだ。

違う社会を経験をした大人たちが、どうあがいても今の子供たちの気持ちに成り代わることはできない。

そんな子供たちにすべきことは、様々なコミュニティを準備し、それを選択する自由を与えること。

リモートワークの普及が進んでいる中で、将来的に義務教育の分野でも「ネット」を存分に利用すべきではないだろうか。

さらなるオンライン授業(公立小中学校)の拡充、文科省主導で公立のネット小中学校の新設、メタバースに公立学校を作るのもいい。

今後、不登校児童が激増していくことが予想される中で、様々なコミュニティは準備しておかなければならない。

小中学生の半数以上が従来の学校から他の学校へ行くことを想定して取り組むべきだろう。

その代わりに、今の大人たちの経験や価値観が通用しない違う社会になる位のことは割り切らなければならない。

多様性を主張するのであれば、様々な児童にあった様々な義務教育コミュニティを文科省主導で準備するのが筋。

民間ありきの義務教育はまさに逆の発想である。

2023年11月記

この記事を書いた人
びわおちゃん

☆1971年生まれ ☆滋賀県在住
☆物流系30年 ☆92'立命館大学卒

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