はじめに
岩谷産業といえば何を思い浮かべますか?
真っ先に思い浮かぶのが「カセットコンロ」と「カセットボンベ」ですよね。
ずいぶん前になりますが、発売された当時は画期的な商品でしたのでバカ売れしていました♪
定期的にお世話になってます!😙
2016年には焼肉専用グリルの『やきまる』が発売され、煙が抑制されるという特徴から大きな話題となり、これもまた爆発的に売れました。
部屋に煙や焼肉の匂いが染みつかないのって、画期的ですよね♪
企業努力の賜物です!m(_ _)m
「さぞ売上も爆上がり」と思いきや、実はこういったカセット系の商品の売上は、岩谷産業全体の 8% 程度でしかないんです。
残り 92% もあるのですが、いったい何で稼いでるんでしょうか。
岩谷産業は、カセットコンロやボンベだけの会社ではありませんよ♪
岩谷産業の基軸は、主に家庭用・工業用のLPガスが主流なんです。
LPガスは全体売上の 60% を占めていて、あとはエネファームなどのガス機器・供給設備などが 22%、そしてLPガス以外の燃料関連で 10% と続いています。
LPガス以外の燃料とは、窒素やアルゴンといったエアセパレートガスに加え、炭酸ガスやヘリウム、水素といった「特殊ガス」などがあります。
「ガス」の全てにおいて携わっている岩谷産業なんですが、昔から注力しているのが次世代クリーンエネルギーの『水素』なんです。
日本初の液化水素大型プラントを持っていて、国内の水素販売量のシェアはなんと 70% を占めています。
液化水素にいたっては市場シェア 100% 、ヘリウムを含めた「特殊ガス」の市場シェアは業界1位!
さらには、日本の宇宙開発ロケットも、岩谷産業の水素を利用して飛んでいるんですって!
各家庭で使う商品から、こんな大きな事業とも関わりがあるなんて、
「カセットコンロ&ボンベのイワタニ」って幅の広い大っきい企業なんですね!
注目されたIwatani
「水素社会になることが自分の大きな夢」と語る岩谷産業の牧野明次(あけじ)会長。
この会長こそが創業者の意思を引き継ぎ「水素社会」を目指すことに注力してきた中心的人物です。
技術の街、大阪府東大阪市出身で、現在御年81才!、ギラギラしたエネルギッシュなおじいさまです。
そもそも「水素」が注目され始めたのはつい最近のことで、2020年の10月に当時の菅首相がカーボンニュートラル宣言を行ないました。
世の中が脱炭素社会を目指す方針を固めたことがきっかけで、一気に「水素」に注目が集まったわけです。
グリーン成長戦略として真っ先に出てくるのが「水素」ということで、水素事業でリードしていた岩谷産業の株価は一気に2倍に跳ね上がったのです。
水素バブルが湧いたのは世界的環境問題がきっかけだったんですね!
牧野会長は「とうとう水素社会が近づいてきた」と感じたところでしょうか。
そんな牧野会長ですが、初めから「水素」にこだわりがあったわけではありません。
いつの時点で「水素」に注力するきっかけがあったのでしょうか。
牧野会長が岩谷産業に入社する前から順を追って振り返って見ていきたいと思います。
岩谷産業と牧野会長の歴史
まずは、岩谷産業の歴史から〜。
1930年に酸素やカーバイド(アセチレン)、溶接材料を扱う「岩谷直治商店」が創業され、その後1945年に岩谷産業として会社を設立されました。
その4年前の1941年、工業生産の過程で副次的に発生していた余剰水素を空気中に破棄されていたことに着目し、引き取って水素ガスの販売を始めたことが水素との関わりの始まりになります。
当時の水素は、溶接やアドバルーン、気象観測用などに使われるにすぎず、その多くが空気中に破棄されていました。
しかし、創業者の岩谷直治氏は水素の秘められた可能性を誰よりも先に見出し、新たな時代に役立つものとして育てる、という信念のもと取り扱いを開始したのです。
そして岩谷産業は、現在に至るまで80年以上の間、水素の製造・供給・研究開発を行っています。
1953年には日本初の家庭用プロパンガス(マルヰブランド)を発売し、その名が一気に轟くことになります。
当時の台所は薪を焚べて火をおこしていた時代だったので、女性にとってまさに重労働の日々だったそう。
料理するのに毎回火おこしすることを考えたら大変です。😵
そうしたことがこの「プロパンガス」の出現によって開放されました。
これが「台所革命」と呼ばれ、プロパンガスの普及にまい進した岩谷直治氏は「プロパンの父」と呼ばれています。
そして1964年には東京オリンピックの聖火に岩谷産業のプロパンガスが採用されています。
この頃には、ガスと言えば「岩谷産業」というブランドが完全に出来上がっていたのですね♪
そして1969年、今でもシリーズとして続く「カセットフー」を発売するんです。
こうして見ると、当時から今に至るまで産業ガスを使いながら「家庭の味方」であり続けたことが伺えますね。
牧野会長「水素」のきっかけ
創業者、岩谷直治氏のDNAを受け継ぐのが、牧野明次代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)です。
国内の水素シェアトップの座を維持し、「ミスター水素」の異名をとっています。
牧野明次会長は、1941年に医師の家庭に生まれました。
小学1年生の頃から家庭教師を雇って医師を目指すのですが、大学受験に2度失敗します。
兄の勧めで、まずは受験に受かるクセをつけろと言われ、大阪経済大学を受験されました。
そちらは合格した牧野会長ですが、この時点で医師をあきらめ経済の道に進むことを決意したそうです。
そして商社を希望していた就活の際、叔父に相談してみると「岩谷産業」の将来性を推し勧められます。
叔父のアドバイス通りに岩谷産業に就職できた牧野会長は、入社式の岩谷直治社長の言葉が今でも忘れられないと言う。
「次は水素の時代が来る。いずれ飛行機も水素で飛ぶ時代が来る。」
この言葉に牧野会長は、「おかしな事をおっしゃる方だな、本当に水素なんかで飛行機が飛ぶのだろうか。」と感じていたのですが、その記憶は鮮明に残っているのだそうです。
創業者の先見の明が半端ない。
入社式も終えて、実際に働くことになります。
営業配属を希望していた牧野会長でしたが、配送車両の積込をする発送担当をすることになりました。
ここで牧野会長は一旦くじけます。
肉体労働であることと、同期の中で自分だけしんどい目にあっている、という思いが湧いてしまい、心が折れてしまいました。
めちゃめちゃ根性ないやんか。
早速叔父に、辞めようかと思っている旨を相談しにいきますが、下働きの大切さを享受されることになり、この仕事を続けていく決意をします。
1年半の辛抱の末、希望していた念願の営業職に就くことができメキメキと成長していくのです。
それから時を経て、36才になった牧野会長の前に人生の大きな転機が訪れます。
仕事が終わり帰宅すると、政治家の塩川正十郎氏(塩爺)が自宅で待っていたことがあったのです。
家が近所で、仲人をしてもらう程の親交があったようです。
塩爺の用件は、政治家への誘いでした。
この時の岩谷産業は、労使対立が激しく会社も社員も駄目になってしまうかもしれない状況だったこともあって、牧野会長は7割がた政治家への転身を考えていました。
ただ、それを家族に相談をすると奥様の猛反対にあってしまい断念する事を決めます。
家族を裏切ってまですることではないと考えたそうです。
そうなれば岩谷産業でやっていくしかないという事で、今の会社の状況を立て直す!と決意し、労働組合の委員長になるんです。
そんな簡単になれるか。
人望が半端ない。
牧野会長は2年を要して、無事労使協調路線を確立させ、現在に至るまでその路線は順調に続いています。
その後牧野会長は、18支店中17番目の成績の名古屋支店立て直しの命をうけ異動することになります。
独自の改革と人心掌握術で、1年後には18支店中1番の成績を収めることに成功!
持ち味の情熱で名古屋支店の立て直しに成功し、すぐに本社に戻って来られました。
ちょうどその頃、1986年になりますが、JAXAの宇宙開発ロケット「H-1」の打ち上げが行われ、その燃料には岩谷産業の「液化水素」が使われます。
創業者の岩谷直治氏の夢である「水素事業」が、まさに本格化していくのでした。
「これから水素の時代になるんや。水素っておもろいな。」と感じる牧野会長。
今からおよそ40年前、ここで初めて「水素」に注力するきっかけが生まれたのです。
その3年後、今度はアメリカの化学企業への出向を命じられます。
ここで牧野会長は、水素を商用化するためのノウハウ「水素を格安で製造する方法」を手に入れるのです。
収穫を手に帰国し、本社に戻った牧野会長を待ち受けていたのは、またも立て直しの司令。
ガス・化学品部門の業績不振を盛り返すことを任されました。
ここで牧野会長は、「アメリカから持ち帰った水素のノウハウを活かせれば大丈夫」だと高をくくり、会議の席で「液化水素のプラント建設」の提案をするのですが、「売れるわけない」と賛成を得られずにあえなく却下!
何度も何度も提案を繰り返したが、しつこい!と突っぱね返されることになります。
その影響からなのか、今度は業績不振の子会社「岩谷瓦斯」への転籍を命じられます。
本社から離れることになってしまった牧野会長でしたが、またしてもあっさりと立て直しに成功し、すぐさま本社に復帰することができたのです。
意気揚々と本社に帰ってきた牧野会長は、創業者の岩谷会長(当時)に呼び出され、再び新たな司令が下されます。
「今度も立て直して欲しいところがあるんや。」
「次はこの会社や。この会社を立て直すためにお前を社長に任命する。」
2000年、岩谷産業の牧野社長が誕生した瞬間でした。
改革の鬼!
2000年といえば、バブルが弾け日本中の企業はどこも経営危機に陥っていました。
バブル崩壊前は多角化経営が増加していましたが、崩壊後はどこも経営難に陥り「選択と集中」が全国的にトレンドに。
日本中がどん底の時期に社長に就任した牧野会長は、「選択と集中」で事業を2つだけに絞ることを決めるのです。
本業を第一にするということで、工業用ガス事業とプロパンガスを中心とする事業、この2つの部門に集中することを決意します。
この時点では、もうそれ以外に方法はなかったのです。
得意分野に特化した企業方針で臨まなければ、そして素早く行動に移さなくては会社の倒産は免れない、そんな状況でした。
大企業になればなるほど、社員やその家族が多いこともあり、リスクは計り知れません。
しかし牧野会長は素早い行動をとり、わずか3年で66もの関連会社を清算、そして様々な改革を行い、ものの見事に会社を復活させるのです。
決断力と行動力に並外れたものがありますね。
岩谷産業史上最大のピンチを凌いだ牧野会長は、2006年大阪府堺市に100億円を投じてあるものを建設しました。
大型液化水素プラント『ハイドロエッジ』の建設!
世界最大級の液化水素製造プラントが建設されました!
ここには長年の思い、牧野会長、そして創業者岩谷直治氏の夢が詰まっているのです。
創業者の思いを形にしましたね♪
以降、岩谷産業の水素に関わる事業業績は順調で、売上は毎年更新しているとの事です。
自動車産業との関わり
トヨタのミライなどで水素自動車が知られていますが、自動車産業にも岩谷産業は深く関わっています。
半世紀ほど前ですが、東京の武蔵工業大学(現:東京都市大学)が1974年に日本初の水素自動車を発表します。
その名も「武蔵1号」!
圧縮水素を燃料として、走行を見事に成功させます。
50年前から大学で水素自動車の研究開発が進められていたんですね😲オドロキ
その翌年から岩谷産業も開発に参加し、燃料を圧縮水素から液化水素に替え軽量化に成功します。
「武蔵2号」を発表し、5日間で米・西海岸2800kmを走破しました。
その後、乗用車にも展開していき1990年には日産の往年の名車「Z32型フェアレディZ」の水素版を開発。
その後も改良を加え、1997年には「武蔵10号」にまで進化しています。
2000年からは実用化に向けた研究開発が実施され始めます。
(この研究とは別に、2008年マツダは独自のロータリーエンジンを水素燃料向けに改良し「RX-8ハイドロジェンRE」が開発され、エコ先進国のノルウェーに納入されました)
2009年、日野自動車が協力のもと水素燃料エンジンバスの開発にも成功します。
日本で初めてナンバープレートを取得し、公道走行を実現したのです。
実際、乗用車よりもバスの実用化の拡がりが早く、既に路線バスでの運用が始まっています。
この路線バスに合わせて岩谷産業はこの地域に水素ステーションを開設しました。
この路線バスは水素タンクと燃料電池を搭載しているFCバスと言い、エンジンがない自動車なんです。
エンジンがあった場所には電気モーターが設置されていて、走行音は非常に静かに。
車体価格は1億円(従来の4〜5倍)で、燃料代はディーゼルエンジンの約3倍に上ります。
次世代エネルギーを使用し、環境に優しいことで評判は上々、コストが下がれば必然的に需要は拡がっていくと見られます。
世界が脱炭素社会を目指す中で、日本は水素を利用した形でリードし貢献しているのです。
まとめ
水素は常温では気体ですが、マイナス253℃に冷やすと液体に変化し、体積は800分の1に縮小します。
電気式のクーラーで冷やすのが一般的ですが、ハイドロエッジではある画期的な方法を採用しています。
岩谷産業は輸入されるマイナス163℃以下の液化天然ガスに目をつけ、その冷気を使ってまず窒素を冷し液化窒素を生産します。
さらにその冷気を水素に移した上でマイナス253℃まで電気式クーラーで冷却します。
すると水素を常温から冷やすよりも大幅に電気代を節約できる仕組みになっています。
この画期的な製造方法は、牧野会長がアメリカ時代に得た知識が元になっているのです。
体積を縮小させ大量に運ぶことや、電気の使用を最小限に抑えることで水素の価格を下げる、こういった取り組みで水素社会の実現に向けた牧野会長の夢がこのハイドロエッジで行われています。
しかし主要エネルギーとして定着するには高すぎるコストが課題となっている水素。
2030年には今の価格の3分の1にしようと努力されています。
2020年に「水素バリューチェーン推進協議会」が結成され、253の企業・自治体などが加盟し、連帯で水素社会実現を目指しています。
水素を使う新しい需要家の発掘や新しい製品の開発、また法律や技術基準を世界で統一する、こういったことを取り決めていかなければ国際的な取引は困難です。
岩谷産業をはじめ、様々な企業がリスクを負って投資している中で、それらを後押しする政策がこれから求められています。
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