\1000冊以上読み放題はコチラ♪/

【センバツ高校野球】強豪近畿の一員なのに…なぜか強くない滋賀 屈辱の歴史!

青空を背景に白球を握る手と太陽の光 高校野球ナビ
※当サイトにはアフィリエイト広告が含まれます

毎年3月中旬に開催される『選抜高校野球(毎日新聞社主催)』は、その名の通り「選抜」されて出場できる春の甲子園大会。

地区予選を勝ち抜いたチームが出場する『夏の選手権大会(朝日新聞社主催)』とは一線を画したスタイルで、日本高校野球連盟(高野連)が厳格に定めた「選考基準」に満たさないかぎり出場できないという仕組みになっています。

「夏」のイメージが強い高校野球ですが、今回は『春の選抜高校野球』に限定して、その中でも私の地元「滋賀県」に焦点を当て歴史を振り返っていきます。

野球小僧だった大昔、初めて見たと記憶している地元センバツ出場校の試合が、あまりにも衝撃的で今でも根強く心に残っています。

スポンサーリンク

弱小県のレッテルを貼られた滋賀

近年の「センバツ大会準V」など、コンスタントに甲子園で活躍する「近江高校」の出現で、滋賀県にもやっと全国で通用する強豪校が現れたと実感していますが、

2022年選抜高校野球 補欠校から繰り上げ出場の近江

過去にさかのぼってみると、とんでもない弱小県であったことがよ〜く分かります。(先人の方々すみません)

昭和時代のあるエピソードによると、

組み合わせ抽選会の結果、滋賀県と対戦が決まった相手チームとその県民たちは、たいへん喜んでいたそうです。

くじ運に恵まれた主将は、各方面から「ようやった、ようやった」と褒められ、選手宣誓よりも良いくじだと言われるほどだったそう…。

腹立たしいやら悲しいやら、そんなトホホな時代が現実にあったんですね。

それもそのはず、

「春のセンバツ大会」では、近畿勢で一番最後(第29回:1957年)

「夏の選手権大会」においては、全国で一番最後(第61回:1979年)に初勝利を挙げているのが滋賀県です。

全国大会で勝たない相手に決まれば喜ぶのも無理はありません。

ちなみに…

春の選抜高校野球大会で一番最後に初勝利したのは新潟県。2006年(平成18年)の第78回の日本文理高校でした。

近畿勢といえば、大阪府を筆頭にレベルの高さは折り紙付き。

下の表を見てもらえば一目瞭然ですが、なんと優秀な成績なんでしょう。

滋賀県を除いて。

近畿優勝準優勝勝利数勝数ランク
大阪府12回10回212勝1位
兵庫県6回5回176勝3位
和歌山県5回5回107勝5位
京都府2回2回83勝8位
奈良県2回0回60勝15位
滋賀県012335
2023年までの選抜大会の記録 ※滋賀の勝率は、全国で『43位』と下から5番目

野球強豪地区である近畿の一員のはずなんですが、なぜか強くない不思議な滋賀県。

勝率が下から5番目で、勝数が35位ということは、出場回数は多いけれども、勝たずして負けも多いということ。(出場回数は多い部類に入る21位)

近畿地区は出場枠が6校と他地区に比べて恵まれているので、強豪揃いの地区とは言えど選抜されるチャンスは多いのです。

北海道や東北、北陸から山陰にかけては、季節がら雪で実戦練習がままならないうえ、出場枠も近畿地区や関東地区ほどありません。

大ハンデがあるのは言うまでもなし。

成績データを見てみると、当然下位ゾーンを占めるのは寒冷地区ばかりになってしまうのですが、その中には滋賀県もちゃっかり入っているのです。

こういった地域の学校と比べると、野球環境は遥かに恵まれているはずなんですが…なんでかな?

滋賀県勢のセンバツ大会歴代成績

なぜか強くない、滋賀県勢の歴代成績を振り返ってみましょう。

大会(年)参加数校名(出場回) 成績勝数
11(昭9)`3420膳所(1)2回戦0
16(昭14)`3920大津商(1)2回戦0
1942〜1946戦争開催無し
22(昭25)`5016彦根東(1)1回戦0
23(昭26)`5116八幡商(1)1回戦0
25(昭28)`5319彦根東(2)2回戦0
28(昭31)`5620膳所(2)2回戦0
29(昭32)`57 20八幡商(2)ベスト8 2
31(昭34)`59 23膳所(3)2回戦0
34(昭37)`6223八幡商(3)ベスト81
35(昭38)`6328大津商(2)1回戦0
40(昭43)`68 30甲賀(1)1回戦0
41(昭44)`6926比叡山(1)2回戦0
47(昭50)`7529能登川(1)1回戦0
49(昭52)`7730伊香(1)1回戦0
50(昭53)`7830比叡山(2)1回戦0
52(昭55)`80 30瀬田工(1)1回戦0
53(昭56)`8130比叡山(3)1回戦0
54(昭57)`8230瀬田工(2)1回戦0
55(昭58)`8332長浜北(1)1回戦0
56(昭59)8432高島(1)1回戦0
57(昭60)`8532堅田(1)1回戦0
59(昭62)`8732伊香(2)1回戦0
60(昭63)`8834野洲(1)2回戦0
61(平元)`8932八幡商(4)1回戦0
65(平5)`9334八幡商(5)ベスト82
66(平6)`9432石山(1)1回戦0
68(平8)`9632比叡山(4)2回戦1
70(平10)`9836近江(1)2回戦0
71(平11)`9932比叡山(5)1回戦0
75(平15)`0334近江(2)ベスト82
76(平16)`0432八幡商(6)2回戦1
77(平17)`0532八幡商(7)1回戦0
78(平18)`0632北大津(1)2回戦1
79(平19)`0732北大津(2)1回戦0
80(平20)`0836北大津(3)3回戦2
81(平21)`0932彦根東(3)1回戦0
84(平24)`1232近江(3)2回戦1
87(平27)`1532近江(4)2回戦1
88(平28)`1632滋賀学園(1)ベスト82
89(平29)`1732滋賀学園(2)2回戦1
90(平30)`1836近江(5)3回戦1
彦根東(4)3回戦1

膳所(4)2回戦0
92(令2)`20感染症中止
94(令4)`2232近江(6)準優勝4
95(令5)`23 36彦根総合(1)2回戦0
は『21世紀枠』で選出 ※旧制中学は現在の校名で表記しています

0が多くない?

過去のデータから分かるのは、まず第一関門であるセンバツ代表校になれるかどうかの確率が4割7分4厘。(21世紀枠を省くと.453)

2年に1回出れるか出れないかですね。

初戦敗退は、合計45戦で30回、初戦敗退率は6割6分7厘。

1勝が9回。複数勝利が6回で、複数勝利率は1割3分3厘とかなり低め。

ベスト8以上に勝ち進むには、約16年に1回という確率になっている。

ちなみに新潟県は…

選抜代表校になる確率は1割2分8厘で、ベスト8以上に勝ち進む確率は94年に1回

(いちいち新潟県民の方、すみません)

昭和時代は地獄のような成績ですね。

県勢初めてのセンバツは膳所高

滋賀県勢が初めてセンバツ出場したのは、今から約90年前の1934年の第11回大会(昭和9年)の膳所中(現:膳所高校)です。

「ぜぜ」と読みます。

県民ならご存知でしょうが、京大生を多く輩出する滋賀県トップの進学校、まさに『文武両道』の極みです。

滋賀県民のあるあるで、テストで良い点をとると「お前、膳所行けるぞ!」が定番でしたので、「ぜぜ=秀才」、小学生でも知ってる優秀な高校です。

上から下まで白を基調としたユニフォームが特徴で、左胸に「Z」の一文字がどーん!

長い歴史を感じるレトロチックな装いが何とも言えません。

膳所高校野球班OB会HPより引用

センバツ初陣の成績は残念ながら、0-2で和歌山中(現:県立桐蔭高校)に敗れることになります。

この一戦が滋賀県勢のセンバツ高校野球の幕開けとなるのですが、ここから初勝利までには長い歳月がかかりました。

マメ知識

膳所高はかつて大津東高の校名だった時期があり(昭和27年から昭和31年)、この期間に2度目のセンバツ出場を達成します。昭和31年の第28回大会では、左胸に大きなOの中にTSUを配したユニフォームで、「大津」を象徴していました。

2018年に選抜された際には、満員のアルプス応援団の『Z』の人文字と、マジンガーZの応援歌が話題になりました。

秀才軍団が、マジンガーZのメロディに合わせて「ゼーット!」と熱い掛け声を送る光景は、まさに青春のひととき。

ゼーット!!

この年は21世紀枠で選ばれたのですが、その理由がまた素晴らしい。

ヒット性の打球を、正面で捕球してアウトにしたいという発想から始まり、2017年に分析専門のデータ班(膳所では部を班としている)を新設。

収集したデータの活用で、大胆な守備位置変更など、パワーや技術面以外での機能が見事に活かされ、好成績をおさめました。

これが評価され、センバツ大会に出場しています。

私立等の野球強豪軍団と渡り合うため、独自のアプローチで力強いチームを形成しようとした膳所高校って、

やっぱりかしこっ!

膳所高校OB野球班会HPより引用

滋賀県勢、悲願の初勝利

膳所高校の初出場から23年後の1957年の第29回大会(昭和32年)。

センバツ大会に出場したのは、滋賀県で最も古い野球部の歴史を持つ八幡商業。

地元民からは「はっしょう」と呼ばれ、

天下に誇る八商魂、略して「天八魂」が校訓で、近江商人の士官学校とも言われています。

伊藤忠財閥の2代目やワコール創業者など著名な実業家を多数輩出し、野球部では楽天イーグルスの則本昂大投手も在籍していました。

県立高校の中でも立派な施設を保有しているのは、やっぱりOBの力が凄いんでしょうね。

6年ぶり2回目の出場となったこの年のメンバーには、後に社会人野球で活躍する県下屈指の左腕「虎若投手」が在籍しており、滋賀県勢の悲願だった甲子園初勝利を飾ることになります。

八幡商業の戦績
  • ○ 3-0 苫小牧東(北海道)
  • ○ 2-1 新宮(和歌山)
  • ● 1-7 高知商(高知)

初勝利&2勝でベスト8まで進出、さらに5年後には3度目の選抜出場を果たし、再びベスト8まで進出します。

昭和の前半期は、秀才軍団の膳所高か近江商人の八幡商業、この県立2校が滋賀をリードしていましたが、ここにきて八幡商業がグンッと前進。

全国で通用するレベルに到達したかと思いきや、その期待は見事に覆される厳しい現実が待ち受けていたのです。

ここから滋賀県勢の暗黒時代へと突入します。

1978年の悪夢 春

昭和37年、八幡商業が2回目のベスト8に進出して以降、平成5年に至るまでの31年間、滋賀県勢は一度も勝利していません。

この間に生まれた私は、勝利を目にすることなく大の大人に成長。

もういろんなこと覚えました。

この悲惨な期間を独自に暗黒時代と呼んでいますが、中でも滋賀県勢にとって最大の地獄は、1978年(昭和53年)に起きた2つの事件になります。

私が初めて見たと記憶する試合中継で、その1つが発生しました。

高校野球甲子園大会史上初めての完全試合をやられてしまったんですね。

完全試合とは、先発投手が相手チームの打者を1度も塁に出さずに、無安打、無失策、無四死球、無得点で勝利すること。

ノーヒットノーランの上をいく、いわゆる「パーフェクトゲーム」というやつです。

選抜代表は9年ぶり2回目の出場となる比叡山で、相手は群馬県有数の進学校の前橋。

第50回選抜高校野球大会1回戦 比叡山対前橋(群馬)

下馬評では比叡山が有利、さらに名前もユニフォームもかっこいいということで、春休みで暇してた近所の仲間たちと期待してテレビ観戦です。

9回までしっかりと見る集中力はまだ兼ね備えていなかったので、正直言うと後半まではほとんど覚えていません。

その当時は大人気のプロ野球に夢中だったので、高校生だとやはりレベルの違いもあって面白くはありません。

子供はさほど見ていなかったと思います。(今でもそうかも知れません)

高校野球特有の地元愛もまだ育まれてなかったのも理由のひとつかな。

━最終回、アナウンサーが言う「完全試合まで…」という言葉にもピンと来ず、な〜んとなく見ていたら、あっさり終わってしまいました。

スコアは、比叡山 0-1 前橋(群馬)、完全試合が初の快挙ということで、大々的に報道されたみたいですね。

その夜、既に地元愛が成熟している父や母、近所の年配方がえらく大騒ぎしはじめ、あーだこーだ言ってる姿を目の当たりにしたことで、この試合の重大事件度に気付かされます。

大騒ぎの内容は、弱すぎる、負ける時は半端なく負ける、エラーばっかりする、全然ヒット打たない、気おくれし過ぎ、などなど、

書けないような酷い言葉が多くありましたが、滋賀県勢への批判的な意見が多く聞こえてきました。

同様に県内全域がこのような風潮になってしまって、比叡山高校野球部には心無い野次が相当浴びせられていたそうです。

あぁ辛い話。

マメ知識

群馬からの選抜は2校で、共に進学校の桐生と前橋(桐生はベスト4)。完全試合を成し遂げた前橋の松本投手は「比叡山に申し訳ないことをした」と後に語っていることから、様々な背景が想像できる。

1978年の悪夢 夏

その年の夏の大会(第60回)で2つ目の事件が起こることに…。

秀才軍団Zの「膳所高」が県予選の準決勝で、選抜代表の比叡山を1-0で破り、決勝では彦根東を5-3で勝利。

晴れて甲子園の滋賀代表校となりました。

滋賀県勢の悲願である夏の甲子園初勝利と、春の雪辱を果たすという目標を掲げ、いざ甲子園へ出発します。

対戦相手は何の因果か、春のセンバツと同じ群馬県で、代表校は「桐生(きりゅう)」。

その年のセンバツではベスト4まで進んだ強豪校で、こちらも文武両道・秀才軍団。大会前には進学校対決として話題になっている。

下馬評では大会屈指の左腕・小暮投手を擁する桐生が有利との見方が多い中、見立て通りの素晴らしいピッチングを披露することになります。

結果は、0-18 と桐生に大惨敗。

春と夏、同じ群馬県勢に打ち砕かれ、共に零封された形に。

群馬県!もう勘弁して下さい!

膳所高が打ったのは、ボテボテの内野安打1本のみで、エラーともとれるものでした。

センバツ比叡山のその後の事態を重く見ていたのかは知らないけれど、もしかしてそのヒットは高野連が忖度したのかも…、と後に感じてしまいます。

結果として1978年の滋賀県勢は、春夏合わせて18回ある攻撃機会の中で、ボテボテのヒット1本しか打てなかったということです。

危うく、凄い記録を残してしまうところ。

もともと強くなかった滋賀県が、改めて全国に「マジで弱い滋賀県」を印象付ける結果となってしまったのでした。

春の前橋も夏の桐生も、滋賀県勢に勝った次の試合で完封負けを喫していることから、その印象はさらなる確信へと導いていくのです。

まさに地獄とも言うべき1978年、滋賀県勢にとって耐えがたい屈辱の年となったのでした。

夏の甲子園、滋賀勢初勝利は?

この第60回大会まで、滋賀県勢が出場したのはわずかに9回のみ。もちろん成績は0勝9敗で、得失点の合計は4得点で68失点とえげつない。しかし翌1979年に悲願の初勝利を達成することに。その学校の名は、なんとあの比叡山!春の汚名返上となる初勝利に加え、その後の連勝でベスト8まで勝ち進みます。ベスト8をかけた3回戦で当たったのは奇しくも群馬県勢。その年のセンバツで1勝を挙げていた前橋工業との対戦は 6-1 で完勝。試合後、比叡山・日下部監督は「雪辱は果たせましたか?」のインタビューに対し言葉を詰まらせてしまいます。顔を伏せ、無言の時を経て、かろうじて「ええ…」の一言だけを発し、涙をこぼされていました。

滋賀県勢の光明

屈辱の年以降の滋賀県勢は、2001年までに比叡山や八幡商業のベスト8、瀬田工業や甲西のベスト4、近江の準優勝など夏の選手権大会では好成績をおさめています。

一方で、春のセンバツとなると1993年(平成5年)まで、先述した八幡商業の3勝のみでした。

しかし、この年から滋賀県勢の這い上がりが始まってきたのです。

1993年〜2023年までの滋賀県勢の戦績は、21戦20勝と初戦で勝利する確率は9割5分と爆上がりの様相を見せています。

2008年の2回戦では、北大津が優勝候補の横浜(神奈川)を破り甲子園で5勝を挙げたほか、2016年には滋賀学園が8強入り。

2018年3回戦では、彦根東の増居投手が花巻東(岩手)を相手に九回まで無安打無得点に抑えている。

そして極めつけは、2022年に補欠校から急遽出場となった近江の準優勝。

滋賀県勢は甲子園でベスト8を3回、準優勝を1回と、昭和の時代では考えられない成績を出し始めています。

1978年の屈辱を機に、滋賀県の高校野球関係者は協力体制を築き、技術向上はもちろんのこと、食育を含む幅広い指導講習会や海外遠征を実施し、総合的な強化策に尽力しているとのことです。

長年の努力が少しずつ実を結んできていることが感じられます。

甲子園で大活躍した大阪桐蔭のエース前田投手など、滋賀県出身の有力選手が他府県の強豪校へ流れていくものの、それ自体が滋賀県の野球の躍進を証明しています。

オールドファンが知る「弱小県」のレッテルはもう過去の話になっているのかも知れません。

対戦相手が滋賀のくじを当てて「ようやった」と思われることも同様に。

こうなったら次の目標は「全国制覇」しかないですね♪

余談:春の甲子園「選抜」するスタイルはなぜ?

ここで余談。

春の高校野球の代表校を決める時って、何かややこしいと感じませんか?

バシっとした決め手がないというか、なんでそうなるの?、と思うこともあるのではないでしょうか。

春のセンバツ高校野球は、新チーム結成後に行なわれる秋季大会や地区大会が予選だと思われがちなんですが、実はそうではなく一つの参考資料として扱われています。

日本高校野球連盟(高野連)が定める「選考基準」を簡単に記すと、校風品位技能の三要素を備え、各都道府県高校野球連盟が推薦した候補校から地域的な側面も考慮して厳選するとのこと。

技能については新チーム結成後から11月30日までの試合成績や実力をバランスよく勘案し、勝敗だけでなく試合の進行や戦術などを考慮するらしい。

明確な結果(地区大会優勝)があるわけでなく「人」が決めることなので、場合によっては「おかしい!」と文句を言いたくなる人も出てきますよね。

実際に何件か発生していますが。

主催している毎日新聞社がこのスタイルを貫く理由は、夏の大会を主催する朝日新聞社とのライバル関係が前提にあります。

━朝日新聞社主催の夏の選手権大会が創設されてしばらくすると、新興チームの台頭でこの大会に出場できなくなった過去の強豪校関係者らが、新たな全国大会の創設を毎日新聞社に働きかけました。

毎日新聞社は朝日新聞社との差別化を図るために、独自色をいろいろと打ち出しています。

その「独自色」の最たるものが、「選抜」だったということだったんですね。

戦後、GHQ(連合国軍総司令部)から、なぜ甲子園大会を2つもする必要があるのかと指摘されましたが、毎日新聞社は「春と夏では違う意義がある。選考基準も違う。」と説き伏せて理解を得たという。

こうした経緯もあって、「春の甲子園」と「夏の甲子園」とは、今でも異なる独自色を続けているわけなんですね。

余談:2024年から出場枠が変更

余談をもうひとつ。

バットも低反発に変わりますが、出場枠も変わります。

【出場枠】【地区】【備考】
1北海道
3東北1枠増加
6関東・東京4・1が基本で両地区比較で残り1校を選出
3東海1枠増加
2北信越
6近畿
2中国中国・四国地区の残り1校を決める比較枠は廃止
2四国
4九州
221世紀枠1枠減少
1神宮枠明治神宮大会優勝校が所属する地区が1枠増える

今回の明治神宮大会は、石川県の星稜高校が優勝していますが、北信越の枠が1校減るわけではなく、星稜以外の2校が選出されます。

こうして見ると、やっぱり近畿地区はかなり有利だと言えますね。

周りには強豪校がたくさんいて、移動も少ないし、出場枠も多い。

こんなに恵まれた地区にいるんですから、滋賀県勢の活躍は責務と言っても過言ではありません。

強豪近畿地区の一員となれるよう、今後の活躍に期待したいですね♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました