毎年8月に甲子園球場で行なわれる、全国高等学校野球選手権大会。
大正時代から続く長い歴史の中には、無数の感動とドラマが刻み込まれていますね。
今回は、第60回記念大会からの成績で「都道府県勝率ランキング」をまとめてみることにしてみました!
第60回大会といえば、西暦1978年で昭和53年になります。
この年より一県一代表制が開始され、高校野球の人気はグンと上がり始めます。
全国47都道府県、49代表校(北海道と東京は2代表)のスタートラインを等しくした状態から比較するので、大正時代からの通算成績で見るランキングよりも現実味がありそうです。
通算成績と比較してみて、現在の勢力図の変化を明らかにしてみたいと思います。(2023年夏の選手権大会終了までの成績)
ランキング概要
北海道は北と南、東京は東と西、合わせて49代表地区で算出します。
10年に1度ある記念大会で2校出場する7地区については、分断せずに1府県としてまとめています。(神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡)
また、南北の北海道と東西の東京都の欄には、分割されてからの成績も記載していますが、あくまで通算成績と第60回大会以降の成績の勝率比較を表しています。
※東京都では早稲田実業が移転で途中から東西が入れ替わりますが、その時の在籍地区でのデータになります。
第60回大会から第105回大会までの期間(第102回は中止)で、合計45大会分を集計。
大正時代や昭和初期は弱かったけど最近になって強くなったという県や、逆に昔は強かったけど最近調子悪いな、っていうのが分かり易くなってます。
さてさて、あなたの地元はどちらでしょうか。
それでは、気になる第60回記念大会以降の「勝率ランキングベスト49」を見ていきましょう!
ワースト9から発表!49位から41位
↑「通算成績」と「制度前の成績」以外は全て第60回大会以降の成績です。
通算成績と比較の欄は、通算勝率の順位です。東京と北海道は分割して算出しています
通算成績と比較して成績が下がった場合は赤色、上がった場合は青色で表してます。
それでは全国49代表のワーストから順に発表していきます!
現在8年連続で初戦敗退中の鳥取県。大正から昭和前半にかけてベスト4を5回などの好成績をおさめていましたが、今回の集計方法では最下位に。制度前(第1回〜第59回)の勝率(.458)と比較してみると、第60回大会以降の(.196)という勝率は極端に下落。
1959年(昭和34年)の第41回大会より、移動距離の問題で南北に分割された北海道。第105回大会(令和5年)では11大会ぶりの1勝を挙げていますが、複数勝利がないところが難点。複数勝利は第62回・第81回・第90回大会の3大会しかない。
第95回大会(平成25年)では40年ぶりとなるベスト8まで進出した富山第一、準々決勝では残念ながらサヨナラの惜敗。通算成績で見ても、いつかは越えたい準決勝への壁。
第85回大会(平成15年)では県勢80年ぶりのベスト4に進出した江の川。県予選でエースが骨折し、代わりに細身の左腕が急造エースとして出場。緩い球ながらタイミングをズラし連続完封。打ではサヨナラヒットなど大活躍。
第76回大会(平成6年)では、初出場ながらベスト4に進出した佐久(現:佐久長聖)。その準決勝の相手はこの大会で優勝する佐賀商。2対0でリードしていたが、土壇場の9回裏に追いつかれ、延長戦でサヨナラ負けを喫している。昭和5年より決勝戦から遠ざかっている長野県勢にとっては非常に惜しい試合。
夏の選手権大会通算勝利数の28勝は、都道府県別で最下位だが、決勝進出を果たしているのは新潟県勢の誇り。第91回大会決勝(平成21年)の中京大中京(愛知)戦では、9回二死走者なしから打者8人がつなぎ5点を挙げ、1点差まで追いつめた日本文理の粘り強い攻撃が有名。
第89回大会(平成19年)では宇治山田商が3回目の出場を果たす。初勝利を目指す1回戦では佐賀北と対戦し15回引き分けの再試合に。2日後の再試合では1対9と敗戦。対戦相手は勢いをつけ、がばい旋風を巻き起こしそのまま優勝した。
通算勝率では全国で最下位の山形県勢も、第60回大会以降の成績で見ると若干上昇。第95回大会(平成25年)の日大山形は、県勢で初となるベスト4まで勝ち進み、準決勝で惜しくも前橋育英に敗退。決勝進出が山形県勢の悲願。
大谷翔平&菊池雄星、佐々木朗希の出身県。直近では高校通算本塁打王の佐々木麟太郎など個人が注目されることの多い岩手県。第60回大会から見ると、初戦敗退や2回戦どまりが続く30年だったが、第91回大会(平成21年)の花巻東のベスト4を皮切りに、近年では好成績をおさめている。
混戦の勝率4割台前半!40位から31位
5段階で分けると下から2番目のグループに属する、いわゆる「中の下」ゾーン。
意外にも、強いというイメージがあった県や、制度導入以降の45大会中2回も優勝している県が2つも入っています!
第1回大会から第40回大会までの勝率はなんと6割6分で、初戦敗退はわずか3回だけ。優勝を2回、準優勝を1回など、出場したほとんどが上位の成績という超強豪県。しかし、第60回大会以降の試合では急激に勝率が下落している。
第100回記念大会(平成30年)の金足農の活躍が記憶に新しい。準々決勝ではサヨナラ2ランスクイズで勝利し、準決勝では日大三の強豪打線を1点に抑え、県勢103年ぶりの決勝進出。決勝戦までの7試合は、全て名だたる強豪校が相手。今では数少ない公立の星。
第86回大会から第88回大会までの3年間は南北海道勢の時代。第87回大会(平成17年)では駒大苫小牧の2年生エース田中将大投手(楽天)の力投で、57年ぶりの甲子園連覇。中京大中京以来となる73年ぶりの3連覇が掛かった第88回大会決勝(平成18年)では、ハンカチ王子擁する早稲田実に惜しくも敗れた。
長崎県では創立130年を越える「海星」が甲子園出場回数のトップ。智弁和歌山の名将・高嶋仁監督の母校でもあり、歌手の美輪明宏や俳優の若林豪など著名なOBがいる。第54回・第71回大会(昭和47年・平成元年)で、同名である三重県の海星と対戦。スコアボードには「長・海星」「三・海星」と表記され、戦績は1勝1敗。
聖光学院が保持している第89回大会(平成19年)から第101回大会(令和元年)までの連続出場記録「13回」は歴代2位。長年ベスト8の壁を破るのに苦労したが、第104回大会(令和4年)で初のベスト4進出を決めており、今後の戦いに県民の注目が集まっている。原点となるのは、初出場した第83回大会(平成13年)の1回戦、対明豊戦での屈辱的完封負け(0対20)。それ以来、体幹トレーニングなどに力を入れ、福島県内では1強となっている。
大垣日大を率いる名将・坂口慶三監督が有名。母校の東邦(愛知)と大垣日大で春夏合わせ35回出場し、甲子園で40勝を挙げている。昭和・平成・令和で甲子園勝利を達成した唯一の監督でもある。昭和は「鬼の坂口」と呼ばれたが、大垣日大へ移る頃には「仏の坂口」に変わり笑顔が多くなった。2023年10月に57年の監督生活を引退されている。
夏の甲子園・都道府県別勝利数で38位と下位の佐賀県だが、全国優勝2回という金字塔を誇る。第76回大会(平成6年)の佐賀商と、第89回大会(平成19年)の佐賀北ともに開幕試合を戦い、決勝戦では2校とも「奇跡の満塁ホームラン」を放っている。また、第64回大会では、佐賀商のエース新谷(元西武)がノーヒットノーランを達成。9回2死での死球がなければ、夏の大会では初の完全試合だった。
石川県の横綱といえば星稜。数々のドラマが頭に浮かんでくるが、中でも松井秀喜(元ヤンキース)の5打席連続敬遠が特に印象的。優勝候補だった第74回大会(平成4年)での2回戦・明徳義塾(高知)と対戦でこの事件が。4打席目の2死走者無しの状況で敬遠策をとった明徳義塾の戦術に対して世間では否定的な意見が殺到していた。試合の結果は2対3で星稜の敗退、のちに松井選手は「あの敬遠で、より注目されたことは自分にとって良かったと思っている。」と述べた。
大分と言えば、名将・小嶋仁八郎監督が有名。西日本パイレーツというプロ球団に入団するも2ヶ月で退団し、別府市役所勤務を経て別府緑丘の監督に就任。翌年「津久見」の監督になると、15年後にはセンバツ初出場初優勝を成し遂げ、さらに5年後には夏も制覇している。後に箕島(和歌山)で甲子園を制覇した尾藤公監督は小嶋監督の野球観にシンパシーを感じていたとのこと。平成以降の出場は無く、近年では明豊が好試合を演出。
栃木県の強豪校で真っ先に頭に浮かぶのは、昭和37年に高校野球史上初となる春夏連覇を遂げた名門「作新学院」。第60回大会まではコンスタントに出場していたが、平成後期まで甲子園とは縁遠くなる。第93回大会(平成23年)を皮切りに10大会連続出場し、優勝を含む17勝を挙げ復活。
混戦の勝率4割台後半!30位から21位
5段階でいうところの「中の中」に位置するゾーンで、22位以降になると勝率は5割を越えていきます。
甲子園大会で、頻繁に伏兵として挙げられる学校がある県が数多く入っています。
第95回センバツ(令和5年)で春夏通じて初の決勝進出を果たし初優勝を飾った(山梨学院)。決勝進出が無い山形・富山・島根と4県が並んでいたがようやく抜け出した形。山梨学院の夏の大会は東海大甲府に代わり出場回数が増えているものの、通算10度の出場に対し2勝の2回戦止まりとなっている。
ヤンキースにそっくりなピンストライプのユニフォームで話題となった「常葉菊川」の活躍は第90回大会(平成20年)。前年の夏にはベスト4、続く春のセンバツでは優勝を飾っている。準優勝したこの年の3回戦では、智弁和歌山(和歌山)に対して1イニング10点の猛攻撃は衝撃。
宮崎県勢初の決勝進出は第95回大会(平成25年)の延岡学園。決勝の相手は群馬の前橋育英で、エースの高橋光成(西武)から4回裏に3点を先取したが、直後の5回表に2四死球と2つのエラーなど打者一巡の反撃にあい同点に追いつかれる。7回表に決勝点を奪われ惜しくも準優勝という結果に。接戦に持ち込んだ延岡学園ナインに大きな拍手が贈られていた。
センバツの優勝経験はあるものの、夏の決勝進出は未だない福井県勢。第74・77・78・79回大会ではベスト8とベスト4を2回ずつ達成し、福井の勝率を一気に押し上げた。第96回大会(平成26年)の準決勝で、後に優勝する大阪桐蔭(大阪)と対戦した敦賀気比は、初回に満塁本塁打などで一挙5点を先制するも、激しい打撃戦の末に9対15で敗戦。この悔しさをバネに翌春の準決勝では11対0で大阪桐蔭にリベンジを果たし、勢いに乗ったまま優勝を果した。
第59回大会までの出場はわずかに8回で、1度も勝てなかった滋賀県勢。出場した8大会で挙げた得点もわずかに4点で、失点はなんと50点。1県1代表になった第60回大会の1回戦では、ポテポテの内野安打1本が唯一のヒットでスコアは0対18と大敗。全国で最も弱い県だと言われた滋賀県は、翌年に全国で1番遅い初勝利を挙げます。これを皮切りにベスト8やベスト4の好成績を立て続けに達成し始め、近年では第83回大会(平成13年)に「三本の矢」で準優勝したこともある近江の躍進が続いている。
1県1代表勢が始まった第60回大会からの宇部商の活躍が目覚ましかった。印象に残るのは第80回大会(平成10年)の豊田大谷戦(愛知)。ガッチリ体格揃いの豊田大谷に対して宇部商のエースは細身の2年生藤田修平投手。2対2で迎えた延長15回裏の豊田大谷の攻撃は無死満塁の場面。既に200球を越え疲れが見えていた藤田投手は、キャッチャーのフェイクサインに戸惑いサヨナラボーク。呆然とした表情が印象的だった。
岡山県勢初の決勝進出は第81回大会(平成11年)の岡山理大付。準決勝の智弁和歌山(和歌山)戦は名勝負と言えるだろう。3対4と1点ビハインドで迎えた9回裏の攻撃、2死満塁で打席に立った5番打者馬場選手のフルスイングは左中間を割り、逆転サヨナラ勝利をもぎ取った。8回表の守備時に足のケガを負った馬場選手はその裏の打席で中途半端なスイングをして3邪飛。サヨナラの場面では「1回だけ振る」と決め、打席で集中力を発揮した。
半数以上が初戦敗退という成績も、20世紀と21世紀で大きく異なる勝率の青森県。第81回大会(平成11年)の青森山田のベスト8を皮切りに、現在まで40勝24敗と大きく勝ち越している。県内最強の八戸学院光星は、2大会連続で準優勝という大活躍もあり、夏通算は25勝12敗。正に「21世紀の強豪県」と言える。
熊本県勢の歴史を語る上で外せないのは第78回大会(平成8年)の熊本工の準優勝。決勝の松山商戦はまさに甲子園史上に刻まれる名勝負。9回裏2死の場面、熊本工は1年生の沢村選手が奇跡の同点本塁打で延長戦突入。10回裏、熊本工は1死満塁の場面で3番本多選手。初球をライトへ高々と打ち上げ「サヨナラ犠飛」と思われたが、交代した松山商のライト矢野選手がダイレクトでホームへストライクの返球、奇跡の間一髪タッチアウト。直後の11回表に一挙3点を奪われ惜しくも準優勝だった。奇跡対決を演じたこの試合は今尚語り草となっている。
東京を含む関東地区(山梨除く)で最も遅い全国制覇を果たしたのが埼玉県。夏の初出場も関東地区で1番遅かった。第75回大会(平成5年)で埼玉県の悲願である全国制覇のチャンスが巡ってきたが、育英(兵庫)の小技に敗れ惜しくも準優勝。24年後に再びチャンスが巡り、第99回大会(平成29年)決勝で大会6本塁打を放っている中村奨成(広島カープ)選手を擁する広陵(広島)と対戦。本塁打は打たれず、チーム一丸となって埼玉県勢初の全国制覇を成し遂げた。
決勝進出経験は全県有り、優勝は7県!20位から11位
いよいよ5段階で分けると「中の上」に位置するゾーンのランキングです。
1県1代表制以降に力を付け勝率がグングン上がった県や、もう出てきたの?という県が入っています。
福岡県勢で10回以上出場したのは小倉の1校のみ。夏は計30校が出場したという超激戦区となっており、近年では九州国際大付コンスタントに出場している。ベストゲームを挙げるなら、やはり第74回大会(平成4年)決勝の西日本短大付対拓大紅陵(千葉)。この大会でエースの森尾投手は5試合完投、4試合完封、準々決勝の北陸戦(福井)で取られたわずか1点のみという素晴らしい投球だった。この年の春からラッキーゾーンが撤去されていた。
意外にもランキングは19位。通算で準優勝9回は全国で最も多い京都府。1県1代表制以降も準優勝が4回あり、優勝の壁がなかなか破れていない。印象に残る試合は第85回大会(平成15年)の平安(現:龍谷大平安)対東北(宮城)戦。東北のダルビッシュ投手(パドレス)と平安の服部投手、共に2年生エースとして臨んだ3回戦は白熱した投手戦。両チーム合計でなんと32三振にものぼる滅多に見られない息詰まる試合だった。試合は延長の末0対1で敗れている。
茨城県と言えば、全国の強豪県へと押し上げた「木内マジック」が有名。取手ニと常総学院の2校を全国制覇に導いた木内幸男監督は、三池工(福岡)と東海大相模(神奈川)を優勝に導いた原貢監督以来2人目の快挙。初優勝した第66回大会(昭和59年)の決勝では、KKコンビ擁するPL学園との死闘交わし、延長10回に桑田投手(元巨人)の内角高めを中島選手が奇跡の3ランを放ち試合を決めた。
出場校は公立高校のみ、全国で唯一私立の出場がない徳島県。公立贔屓するファンが注目する県でもある。蔦監督指導のもと徹底的に打力を磨き、第64回大会(昭和58年)で優勝した池田は翌春も全国制覇。続く夏の大会も優勝候補で3期連続優勝を目指したが準決勝で敗退。ノーマークだったPL学園の1年生エース桑田投手(元巨人)に散発5安打で抑えられ屈辱の完封負けを喫した。
第95回大会(平成25年)で夏を制した前橋育英は、荒井直樹監督と荒井海斗選手の親子鷹で全国制覇をしている。史上2例目となる快挙。親子での出場で有名なのは第56回から第58回大会(昭和49年〜昭和51年)と3年連続で夏出場の東海大相模(神奈川)の原貢監督と原辰徳選手(元巨人)。東海大相模は令和3年のセンバツを門馬敬治監督と功選手で親子制覇。銚子商(千葉)で全国制覇を果たした斎藤一之監督も第58回大会(昭和51年)で息子の俊之選手と出場した。
通算成績ベスト3の愛媛が15位まで落下。全国優勝6回の県勢はセンバツでも4回優勝しており優勝10回は全国8位。高校別優勝回数は中京大中京(愛知)、大阪桐蔭(大阪)に次いで松山商が3位につけている。そんな松山商も現在では22大会連続で甲子園の土を踏めていない。1県1代表制前の勝率(.722)から極端に落ちてきているのが気がかり。新興校は済美。
広島勢は通算成績6位からの落下。センバツに26回出場し、優勝3回・準優勝3回の広陵だが、夏は4回決勝進出も全て敗れ準優勝は4回。準優勝回数としては龍谷大平安(京都)とともに全国トップ。ライバルの広島商は7回決勝に進み6回優勝している。夏の出場回数は広陵24回に対して広島商の23回、勝利数は広島商の43勝に対して広陵の35勝。2校とも大きく勝ち越してはいるが、全国的には古豪・広島商が上回っている。
鹿児島県勢が最も熱かったのは昭和後期から平成中期にかけてだろう。鹿児島商工(現:樟南)・鹿児島商・鹿児島実の3校が入れ代わり立ち代わり出場していた時期の成績は、17大会中準優勝1回、ベスト4が3回、ベスト8が5回で、初戦敗退もわずかに3回しかなかった。近年では、鹿児島商に代わって神村学園がこの3校に加わった形。
愛知県は「私学4強」と呼ばれる中京大中京、愛工大名電、東邦、享栄が圧倒的に強く、県内の他の高校にとっては甲子園出場への高い壁として君臨していた。しかし近年では享栄や東邦の出場機会も減り、代わりに至学館や誉などの新興勢力が愛知県大会を勝ち抜いてきている。
昭和40年から昭和51年の間に優勝3回、準優勝1回、ベスト8を3回というとんでもなく強い時代があった千葉県勢。戦績は28勝7敗で勝率8割、銚子商と習志野が交互に大活躍していた。第60回大会(昭和53年)以降の千葉は戦国時代、拓大紅陵や東海大浦安の準優勝があったが、以後の出場は拓大紅陵が1回だけ。市立船橋や千葉経済大付、成田や木更津総合も好成績を残したが単発で終わっている。
第60回大会以降の勝率ベスト10
さあ注目のベスト10は、新たな勢力の強烈な躍進がありました。
通算成績では圧倒的に西高東低の様相ですが、今回の切り取りでは大きく変わってきています。
早稲田実、日大三の両校を筆頭に上位進出をしたことがある学校が多く存在。全国屈指の激戦区として有名。記憶に残るのは第88回大会(平成18年)の駒大苫小牧と対戦した早稲田実。37年ぶりの引き分け再試合となった決勝戦、3点リードで迎えた9回表にソロホームラン2発で1点差まで詰め寄る駒大苫小牧。2死後はライバル田中将大選手(元ヤンキース)とハンカチ王子こと斎藤佑樹投手(元日本ハム)のライバル対決で、最後は見事に空振り三振を奪いゲームセット。ドラマのような大会だった。
高知県の地区予選出場24校は全国で2番目に少ない。一般的に予選出場校の少ない都道府県は甲子園の勝率も低めだが、高知県は通算成績で6割を超える勝率を誇っている。高知商や高知の古豪2校は平成中期から出場が途絶え、代わって明徳義塾が勢力を伸ばしてきた。直近13年間で11回出場しておりコンスタントに上位進出を果たしている。
センバツに出場した沖縄代表のうち21校が夏の甲子園代表となるなど、春夏連続出場が多いのも沖縄県の特徴。第92回大会(平成22年)には興南が春夏連覇を達成している。第72回・第73回大会(平成2・3年)では沖縄水産が2年連続準優勝と一時代を築いた。近年では沖縄水産に代わって沖縄尚学の出場機会が増え、興南と2強で甲子園出場を争っている。
春夏優勝13回は全国4位で、昭和の箕島、平成・令和の智弁和歌山が構図の和歌山県勢。監督別勝利数(春夏)で歴代1位に輝いている高嶋仁元監督(智弁学園と智弁和歌山)が挙げた68勝は抜かれないと思われたが、大阪桐蔭を率いる西谷浩一監督が67勝を挙げており、近いうちに破られることになりそう。ちなみに3位は中村順司監督(元PL学園)の58勝で大きな開きがある。
第1回大会(大正4年)から出場し続け、春夏優勝13回を誇る伝統県。夏の出場は31校とかなりの激戦区でもあるが、報徳学園と東洋大姫路の2校が県勢の中心的存在。近年では、神戸国際大付や明石商、社の躍進も目立ってきている。
夏に出場した7校は都道府県別で最少で、天理と智弁学園が両横綱的存在の奈良県。この2校の出場確率は8割近くに及び、奈良予選決勝で対戦した過去の成績は智弁学園4勝に対して天理の3勝。智弁学園のOBには岡本和真(巨人)がいる。
東北と仙台育英のニ大巨頭が宮城県を引っ張り、第104回大会(令和4年)では仙台育英が東北初の優勝校となった。「青春ってすごく蜜なので…」と語った須江航監督のコメントは流行語大賞の特別賞を受賞。続く第105回大会(令和5年)で連覇を目指したが、慶應(神奈川)の半端ない勢いに押され惜しくも準優勝だった。
第1回大会(大正4年)より毎回出場の東京都。第56回大会(昭和49年)から東西2代表制となり、第78回大会(平成8年)の出場までは東の代表校として早稲田実が活躍していた。現在では帝京を筆頭に関東一や東海大菅生が続く。第71回大会(平成元年)では帝京が東東京勢として初の全国制覇を成し遂げた。とんねるずの野球盤でお馴染みの吉岡雄二投手(元巨人)はリリーフの池葉投手とともに5試合をわずか1失点抑え、優勝チームの史上最少失点記録を樹立している。
第105回大会(令和5年)の慶應の優勝で夏の優勝は8回に。和歌山県・愛知県に追いつき全国2位に並んだ。高校野球史上最強の一戦とも呼べるのは第80回大会(平成10年)の準々決勝、横浜対PL学園戦。延長では取っては取り返されの繰り返しが2度も続き、横浜が17回表に2ランを放つと「平成の怪物」松坂大輔投手(元レッドソックス)は瞳を潤ませ裏の攻撃をしっかり抑えた。球数にして250球。翌日の明徳義塾(高知)戦では先発回避も9回にマウンドに上がると甲子園の空気を替えて驚異的大逆転、決勝では59年ぶりとなるノーヒットノーランを達成。いくつものドラマを生み出した大激戦は、延長の回数制限を短縮させている。
夏の通算優勝回数14回のうち、第60回大会(昭和53年)以降では10回もある大阪府。PL学園4回に始まり大阪桐蔭が5回、直近では履正社が1回優勝している。大阪府で夏の最多出場はPL学園の17回、1県1代表の元年の第60回大会(昭和53年)で優勝したPL学園は「逆転のPL」と呼ばれた。5年後のチームは1年生コンビの桑田・清原の活躍で2度目の優勝。2人の世代で夏の甲子園の成績は16勝1敗で優勝2回、準優勝1回。桑田は夏通算14勝、清原は夏通算9本塁打で共に1位の個人記録を持っている。第91回大会(平成21年)を最後に出場は途絶え現在では休部状態。近年では大阪桐蔭が爆発的な勢いを持ち、12回の出場に対して5回の全国制覇を遂げている。
昔の強豪県の現在は?
第59回大会(昭和52年)終了時点、「1県1代表制」が開始されるまでの期間の勝率ベスト10と、第60回大会(昭和53年)以降の勝率を比較してみましょう。
順位 | 都道府県 | 制度前 | 制度後 | 今回順位 |
1位 | 愛媛県 | .722 | .542 ↘ | 15位 |
2位 | 広島県 | .657 | .546 ↘ | 14位 |
3位 | 高知県 | .643 | .589 ↘ | 9位 |
4位 | 岐阜県 | .636 | .430 ↘ | 35位 |
5位 | 和歌山県 | .623 | .602 ↘ | 7位 |
6位 | 大阪府 | .617 | .759 ↗ | 1位 |
7位 | 香川県 | .612 | .392 ↘ | 40位 |
8位 | 愛知県 | .606 | .560 ↘ | 12位 |
9位 | 京都府 | .598 | .531 ↘ | 19位 |
10位 | 兵庫県 | .586 | .606 ↗ | 6位 |
昭和52年時点での勝率ランキングを見ると、現在のイメージとはかなり異なるベスト10ですね。
昔から強いと思っていた「大阪府」の6位には驚きですが、岐阜県以北の地域は全て圏外という、まさに西高東低の時代でした。
急激な成績下落率で際立っていたのは、「香川県」がトップで、その後を「岐阜県」が続いています。
かつてはトップ10にランクインするほどの高い勝率を誇っていたこの2県も、現在では全国的に見ても下位の勝率に転落しましたね。
他の府県では、全体的に成績は低下していますが、堅実に勝率5割以上を維持し、大きな変動は見受けられません。
ただ、愛媛県や広島県、京都府については、強豪度でいうところの「S級」から「A級」に降格した印象は否めません。
第60回大会以降で勢いのある県ベスト10
先ほど49地区の勝率ランキングをズラ〜っと挙げましたが、改めてベスト10だけを見やすく表にまとめました。
通算成績ではなく、制度前(第1回〜第59回)の勝率に順位と、制度後(第60回〜第105回)の勝率に分けて順位の変動域を調べてみました。
順位 | 都道府県 | 制度前勝率 | 制度前順位 | 制度後勝率 | 変動域 |
1位 | 大阪府 | .617 | 6位 | .759 | 5↗ |
2位 | 神奈川県 | .580 | 11位 | .674 | 9↗ |
3位 | 東東京 | .547 | 17位 | .632 | 14↗ |
4位 | 宮城県 | .368 | 34位 | .611 | 30↗ |
5位 | 奈良県 | .571 | 14位 | .606 | 9↗ |
6位 | 兵庫県 | .586 | 10位 | .606 | 4↗ |
7位 | 和歌山県 | .623 | 5位 | .602 | 2↘ |
8位 | 沖縄県 | .500 | 22位 | .589 | 14↗ |
9位 | 高知県 | .643 | 3位 | .589 | 6↘ |
10位 | 西東京 | .573 | 13位 | .584 | 3↗ |
一気に2位から4位を東勢が占め、西高東低は完全に過去の話となりました。
中でも勝率.611の成績をおさめている東北の「宮城県」は、第59回大会時点では34位と下位に位置していたものの、のし上がり率は30ランクアップ。
一気にS級強豪県の仲間入りを果たしました。
横綱は大阪府、大関は神奈川として、関脇争いは新参の東東京・宮城の東2県と古豪の奈良・兵庫・和歌山の西3県で争う形ですね。
制度前勝率と制度後勝率でUP率を見てみよう
第1回大会から第59回大会までの「1県1代表制」ではなかった期間の制度前勝率と、第60回大会以後の制度後勝率を比較して49地区全ての勝率アップ率をまとめました。
制度前の期間にあまり出場出来なかった県があるので参考にはなりませんが、制度前の強豪県の動きは参考になるかも知れません。
都道府県 | 制度前 | 試合数 | 制度後 | 勝率UP率 | |
1位 | 滋賀県 | .000 | 8 | .483 | .483 |
2位 | 鳥取県 | .196 | 32 | .458 | .262 |
3位 | 山形県 | .105 | 17 | .366 | .261 |
4位 | 茨城県 | .273 | 25 | .533 | .260 |
5位 | 宮城県 | .368 | 25 | .611 | .243 |
6位 | 鹿児島県 | .350 | 26 | .559 | .209 |
7位 | 佐賀県 | .240 | 19 | .434 | .194 |
8位 | 山梨県 | .278 | 13 | .464 | .186 |
9位 | 石川県 | .269 | 19 | .438 | .169 |
10位 | 南北海道 | .278 | 53 | .411 | .133 |
11位 | 青森県 | .333 | 18 | .489 | .156 |
12位 | 大阪府 | .617 | 58 | .759 | .142 |
13位 | 群馬県 | .400 | 30 | .538 | .138 |
14位 | 神奈川県 | .580 | 36 | .674 | .094 |
15位 | 長崎県 | .324 | 22 | .416 | .092 |
16位 | 沖縄県 | .500 | 10 | .589 | .089 |
17位 | 東東京 | .547 | 59 | .632 | .085 |
18位 | 福島県 | .333 | 16 | .416 | .083 |
19位 | 新潟県 | .261 | 19 | .328 | .067 |
20位 | 宮崎県 | .406 | 19 | .471 | .065 |
21位 | 福井県 | .421 | 33 | .483 | .062 |
22位 | 秋田県 | .347 | 32 | .400 | .053 |
23位 | 福岡県 | .500 | 47 | .537 | .037 |
24位 | 徳島県 | .500 | 16 | .537 | .037 |
25位 | 奈良県 | .571 | 18 | .606 | .035 |
26位 | 岩手県 | .340 | 36 | .375 | .035 |
27位 | 兵庫県 | .586 | 59 | .606 | .020 |
28位 | 西東京 | .573 | 59 | .584 | .011 |
29位 | 埼玉県 | .511 | 19 | .522 | .011 |
30位 | 千葉県 | .553 | 34 | .563 | .010 |
31位 | 熊本県 | .512 | 20 | .500 | ▲.012 |
32位 | 大分県 | .462 | 29 | .444 | ▲.018 |
33位 | 和歌山県 | .633 | 45 | .602 | ▲.021 |
34位 | 岡山県 | .522 | 22 | .489 | ▲.033 |
35位 | 三重県 | .400 | 16 | .357 | ▲.043 |
36位 | 愛知県 | .606 | 55 | .560 | ▲.046 |
37位 | 高知県 | .643 | 21 | .589 | ▲.054 |
38位 | 京都府 | .598 | 55 | .531 | ▲.068 |
39位 | 静岡県 | .538 | 43 | .464 | ▲.074 |
40位 | 島根県 | .382 | 21 | .297 | ▲.085 |
41位 | 北北海道 | .343 | 53 | .250 | ▲.093 |
42位 | 山口県 | .580 | 30 | .483 | ▲.097 |
43位 | 栃木県 | .556 | 21 | .457 | ▲.099 |
44位 | 広島県 | .657 | 42 | .546 | ▲.111 |
45位 | 長野県 | .430 | 56 | .318 | ▲.112 |
46位 | 富山県 | .438 | 18 | .274 | ▲.164 |
47位 | 愛媛県 | .722 | 33 | .542 | ▲.180 |
48位 | 岐阜県 | .636 | 25 | .430 | ▲.206 |
49位 | 香川県 | .612 | 28 | .392 | ▲.220 |
大正時代から昭和初期にかけては「広島」と「愛知」と「京都」、昭和初期から昭和中期にかけては「愛媛」というように、それぞれの黄金時代がありました。
そして、切り取った第60回大会より前の各府県の勝率を見ると、京都府で(.598)、愛知県で(.606)、広島県で(.657)、愛媛県に関しては(.722)と強烈な成績をおさめています。
近年の成績を見ても決して悪い成績を残しているわけではありませんが、昔が強すぎたので成績が追いつかないのが実情。
そんな中で逆に成績を上げ続けているのが「神奈川県」と「大阪府」です。
神奈川県勢は、東海大相模や横浜商、横浜の強かった時代がコンスタントに発生し、大阪府は、PL学園時代から大阪桐蔭時代へと流れるように最強時代を作っています。
もともと凄い勝率を誇っていたのにも関わらず、制度以降はさらにそれを上回る成績。
特に大阪府の勝率7割超えは断トツですね。
かつての愛媛県も勝率7割を超えていましたが、第60回大会以降の勝率が7割を超える大阪府にも成績が下がる時代がやってくるのでしょうか。
今の大阪勢を見るとなかなか想像がつきません。
バントや守備力に注力していた投高打低の時代から、金属バットの出現と1県1代表制の導入で高校野球界に変革がもたらされました。
勢力図の動きはこういった変化によって生まれてきましたが、2024年の春からは低反発バットが導入されることになり、新たな変化が始動します。
情報では5メートル程度の差が生まれると言われているので、試合内容は大きく変わるでしょうね。
この変化は、広島や愛媛などが得意とする小技や守備力が際立つ可能性があり、逆に大阪や神奈川が失速することも考えられます。
もしくは意外な県が強豪となり、新たに勢力図が変わるかも知れません。
2024年春以降の試合内容に注目です。
━さて、今回は1県1代表制が始まった第60回記念大会以降の勝率を元に、勝率ランキングベスト49をまとめてみました。
皆さんの地元はどんな具合でしたでしょうか?
制度前の成績と通算成績などを見比べて、いろいろ参考にしていただけたらと思います。
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